大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台地方裁判所 昭和55年(行ウ)1号 判決 1985年3月12日

原告

浜田啓

右法定代理人親権者父

浜田偉

同親権者母

浜田和子

右訴訟代理人

袴田弘

小野寺信一

山田忠行

被告

泉市長

鈴木幸治

右訴訟代理人

川原悟

川原眞也

右被告指定代理人

佐藤崇

外八名

主文

一  被告が原告の昭和五三年二月二六日付予防接種法第一六条に基づく医療費・医療手当請求に対して昭和五四年一二月一二日にした棄却処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨の判決

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二  当事者の主張

一  請求の原因等

1予防接種の実施

原告は、昭和四〇年四月八日出生した男子であるが、肩書住所地に居住し、泉市南光台小学校に在籍していた昭和五二年一〇月二五日、同小学校において被告が予防接種法(以下「法」という。)第七条に基づく一般的な臨時の予防接種として実施したインフルエンザHAワクチン(以下「HAワクチン」ともいう。)の予防接種(以下「本件ワクチン接種」という。)を受けた。

2原告の発病

(一) 原告は、本件ワクチン接種から四日後の昭和五二年一〇月二九日夕刻から腹部不快感と両側上腿の疼痛を訴え、翌三〇日朝は落痛のため歩行ができない状態となり、同日夕刻嘔吐(一回)と尿失禁をみた挙句入浴中意識混濁と両下肢麻痺をきたし、仙台市内の矢内外科医院に入院して診察を受けたところ、同医院の医師は小児麻痺を疑つた。そこで、原告は、同年一〇月三一日東北公済病院に転院したが、そのころから嗜眠状態となり、項部硬直と運動性失語が徐々に出現するなどしたため、脳腫瘍を疑われ、同年一一月四日東北大学附属病院長町分院脳神経外科に入院して種々検査を受けた結果、急性散在性脳脊髄炎と診断された。このため、原告は、翌五日同病院脳神経内科に転科して治療を続けたところ、症状が安定してきたので、昭和五三年六月二七日国立療養所西多賀病院に転院し、治療、機能訓練を受けながら現在に至つている。

この間、原告は、東北大学附属病院長町分院脳神経内科に入院時右上肢の痙縮が著名ママであつたが二日後弛緩性麻痺となり、昭和五二年一一月八日には左上肢遠位部筋力低下が出現した。後者は約一〇日後に正常に戻つたが、右上肢は同年一一月末から肘関節屈曲が可能になると共に痙縮が徐々に著名ママとなるほどの経過をたどつた。その後、右上肢は同年一二月末には手指の軽度屈曲が可能となり、筋力も徐々に増加し、これと平行して知覚も回復し、軽い知覚鈍麻を残す程度となつたが、第五胸髄以下の知覚脱失は変わらず、両下肢は依然弛緩性麻痺を呈しており、表在及び深部反射はすべて消失したままの状態にある。

(二) 原告の発病以後の症状は以上の経過をたどつたものであり、原告の右疾病(以下「本件疾病」という。)は、東北大学附属病院長町分院脳神経外科の診断のとおり急性散在性脳脊髄炎(静脈周囲性脳脊髄炎又はADEMとも呼ばれる。以下「アデム」という。)である。

3行政処分の存在

原告は、昭和五三年二月二六日、被告に対し、法第一六条第一項に基づき、本件疾病に係る医療費及び医療手当(以下「医療費等」という。)の支給を請求したが、被告は、昭和五四年一二月一二日、同条項による厚生大臣の認定が却下されたことを理由に右請求を棄却する旨の処分(以下「本件棄却処分」という。)をし、同処分は同日原告に通知された。

4処分の違法性(予防接種と疾病との因果関係の存在)

(一) 原告の本件疾病は、以下に述べるとおり法第一六条の適用上本件ワクチン接種に起因するものと認定すべきであるから右厚生大臣による認定却下は誤りであり、これに基づいてした被告の本件棄却処分は違法なものというべきである。

(二) 因果関係判定の基準

法第一六条における疾病と予防接種との因果関係を判定するに当たつては、①他原因が排除され、消去法によつて疾病の原因としてワクチン接種のみが残ること、②ワクチン接種と発病との間に一定の時間的近接関係があることの二点を基準とすべく、右二点が満たされれば、ワクチン接種と当該疾病との間に蓋然性を認め、因果関係を肯定すべきである。

なぜなら、インフルエンザワクチンの接種に限らず、一般に予防接種は、医療上の治療行為とは異なり、被接種者が疾病に罹患している場合にこの生命身体に対する現実の危険を排除するためになされるものではなく、公衆に免疫を付与することによつて、将来伝染病が発生した場合にそのまん延を防ぐため、すなわち将来の不確定な危険をあらかじめ回避するためになされるものにすぎない。それにもかかわらず、予防接種には常に事故発生の危険が存在し、いつたん事故が発生した場合にはその被害は極めて重篤なものとなり、死亡や脳炎等回復不能な重大な結果をもたらすことは経験上明らかである。そして、国は予防接種によつて現実に被害が発生している事実を認識し、本件事故にみられるような被害が発生する蓋然性をあらかじめ予見しながら、あえて法律によつて強制あるいは勧奨して予防接種を実施している。そうである以上、あらかじめ予定された被害が発生したにもかかわらず、その被害者に厳格な因果関係の立証を負わせるのは背理である。そもそも、ワクチン接種とそれによつて発生したと考えられている疾病の多くは医学的な因果関係が解明されていないものであり、とくに本件のような脳炎・脳症はもともと原因不明なものが全体の六〇から七〇パーセントを占め、発症機序にも未解明なところが多い。このような脳炎・脳症と予防接種との因果関係の判定について厳格な基準をとることは、実質的には被害者に不可能を強いる結果となる。したがつて、前段のような基準によつて因果関係の判断をすることが、予防接種による健康被害救済制度としての性格上不可欠である。

法第一六条の改正作業の過程で政府委員みずから「疑わしきは認定する。」と述べているのであつて、右のような解釈は立法者の意思にもそうものであり、従来、予防接種事故審査会あるいは公衆衛生審議会は、厚生大臣の諮問に対して、ワクチン接種と疾病との因果関係が十分明らかになつているとはいえなくても、時間的な近接関係からワクチンの接種以外右疾病の原因が考えられない状況にある場合には両者の因果関係を肯定してきたのである。

以上の点にかんがみれば、被告主張の因果関係判定の基準は厳格でせますぎるものというべきである。被告が本件においてこのような厳格な因果関係の適用を改めて持ち出すのは、その立法趣旨にも従来の運用にも矛盾するものというべきである。

(三) 右(二)で主張した因果関係判定の基準を本件にあてはめれば、①原告の本件疾病の原因としては本件ワクチン接種以外に考えられず(ムンプス感染が原因である可能性を否定すべきことは後記(四)(6)で主張するとおりである。)、②本件疾病は本件ワクチン接種からわずか四日後に発現しているのであつて、両者の間には時間的近接関係が認められるから、本件ワクチン接種と本件疾病との間に因果関係を肯定すべきである。

(四) 仮に被告の主張するような基準に立つたとしても、本件ではワクチン接種と原告の疾病との間に因果関係が認められるべきである。以下、この点を因果関係についての被告の主張に対する反論と合わせて主張する。

(1) まず、インフルエンザワクチンによつて脳炎の起こる可能性は次のとおり肯定される。すなわち、アメリカ合衆国においては昭和五一年(一九七六年)一〇月一日から同年一二月一六日までの間に行われたAニュージャージー型インフルエンザワクチンの接種によつてギランバレー症候群の多発が認められた事実が存するところ、アレルギー性機構があつた場合には、遅延型アレルギー反応が末梢神経に現われれば多発性神経炎に、脳に現われれば脳炎になるのであるから、Aニュージャージー型インフルエンザワクチン接種により末梢神経の遅延型アレルギー反応である多発性神経炎(ギランバレー症候群)が起こる以上、同じ発生機序によりインフルエンザワクチン接種によつてアレルギー性脳炎が発生することは十分考えられる。

(2) 被告はHAワクチンからアデムが起こることは理論的に認められないと主張し、その理由としてHAワクチンには脱髄疾患の抗原である脳物質あるいは神経組織を含まないことを挙げる。しかしながら、アデムがなぜ起こるのかについては、その原因としてウイルス等が考えられるが判らないというのが現在の知識であつて、被告が右主張の前提として依拠する証人松山春郎のアデムは右脳物資を構成する髄鞘の塩基性蛋白が抗原となつて起こる遅延性アレルギー反応であるとの説も仮説の域を出るものではなく、これに基づきなされた被告の前記主張は十分な根拠を有するものではない。

(3) 文献上の検討

被告は疫学的データから考えて原告の疾患とHAワクチンの因果関係を支持するものはなんら見出せないと主張するが、インフルエンザワクチンによつて神経疾患が発現する可能性があることは甲第一六号証ないし第二七号証の各論文でも明らかである。

被告の指摘するウェルズ、シュテール、エーレングートもインフルエンザワクチンと神経疾患発現の可能性を全く否定してはいないのである。たしかに、ウェルズ(甲第一九号証)は、「現在のところ病因的関係は肯定するにも否定するにも方法がない。」と述べているが、その意味するところは、メカニズムを明確にするには現在のところ「方法」がないということであり、ウエルズもその要約では、「インフルエンザワクチン接種によつて神経系の障害がもたらされる可能性がある。」と報告している。また、シュテール(甲第二二号証)の報告も被告が主張するように右の因果関係を否定するものではない。すなわち、「インフルエンザワクチンが直接的に神経系のアレルギー反応を起こすのではないであろう。とりわけ、インフルエンザウイルス抗原と脳炎原性の因子との交差反応は、我われの知る限りではまだ明らかではない。しかし、次のような可能性があらゆる点で存在している。すなわち、インフルエンザワクチンによつて、今までは潜伏していた免疫学的過程が活性化されるということである。……インフルエンザ予防接種中に含まれている鶏卵に対するアレルギーがここで触れた病気の原因であるとは思えない。しかし、いわゆる血清原的な多発性神経炎の誘因になりうる可能性がある。そういう事例をインフルエンザワクチン接種後三日目の患者で観察できた。」と報告しているのである。更にエーレングート(甲第二三号証)は、「インフルエンザ予防接種後に神経病が起こる事故に関する報告は稀であるので、その報告(ウェルズの報告)の中には全く偶然によるものが関係しているものと思われる。インフルエンザそのものの後に起こる神経疾患についてのみ記載されるのであるから、結論としては次のことが暗示される。つまり、このような神経疾患が予防接種によつてもまた起こりうるであろうと。」と報告し、インフルエンザワクチン接種後に神経疾患発現の可能性があることを肯定している。

右のほか、次の猪瀬正らの報告(甲第五五号証)はインフルエンザワクチン接種と静脈周囲脳炎の因果関係を推定したものである。右報告の症例は、「インフルエンザの予防接種を受けてから一週間目に原因不明の四〇度C台の発熱があつて、それが四、五日続いたが、その間に意識障害や神経症状があつたという根拠は明らかにされていない。その後二週間経つて中耳炎とのことで耳鼻科に通院、三六日目に突然の右半身麻痺、つづいて不眠、頭痛などを訴えて発熱、四〇日目から意識障害が現われ、昏睡に陥つて四六日目に死亡した」というもので、脳の病理学的所見によれば、「大脳白質、中脳から脳橋にかけて二十一座を有するいわゆる静脈周囲炎であり、比較的新鮮な髄鞘変性の時期にあるということができる。そして、組織学的には血管の充血や血液ないし血漿の血管外浸出をみるが、血管壁の細胞浸潤が非常に軽い点は典型的なPerivense Enzephalitisの脳所見に一致する」ものであつた。そして、猪瀬らは、「種痘後脳炎や感染後脳炎に関する近年の知見を参照しつつ、神経病理学的所見と病因論を考察して、インフルエンザワクチン接種の病因可能性を推定した」のである。

また、インフルエンザワクチン接種後脳炎の症例として、中村晴臣は、厚生省特定疾患・多発性硬化症調査研究班の班員として一九七五年に次のような症例報告をしている(年第三五号証)。四一才の男子がインフルエンザ接種後五日目に発熱、悪心を訴えて診察を受け、その数日後に意識消失などがあつて入院、入院中に意識消失を伴う全身痙攣などの症状を呈し、その後に高熱が出るなどの経過をたどつて遂に死亡したというものである。中村らは脳膜及び脳内小血管周囲のリンパ球浸潤などが見られたので、アレルギー性炎の表現と考えることができ、かかる反応を惹起する因子はワクチン接種以外に既応歴に見出されず、本例の脳病変はワクチン接種後脳炎と判断せざるを得ないと結論づけた。本例は、大脳白質は全体として髄鞘がやや淡染し、血管壁の膨化と乏枝膠細胞の浮腫性変化を伴つているものの明らかな脱髄巣がない症例ではあるが、インフルエンザワクチン(HAと考えられている。)接種後に発現した脳炎例として貴重な報告である。

(4) 被告がインフルエンザ予防接種によるアレルギー性脳炎は考え難いと主張する論拠は、結局のところインフルエンザワクチンによつてアレルギー性脳炎が発生したという報告例がないということに尽きる。しかしながら、これまで我国においてアレルギー性脳炎の報告例が(前記を除いて)ないというのは、インフルエンザワクチンからは遅延型アレルギー反応による副作用が発生しないとの思い込みにより、この点に留意研究が行われていないからであつて、右の点はインフルエンザ予防接種によつてアレルギー性脳炎が発現する可能性を否定する根拠にはなりえない。

(5) 遅延型アレルギー反応の発症時間について

原告のアデム発症はインフルエンザワクチン接種による遅延型アレルギー反応と考えられるところ、被告は、「(原告の発症)接種から二日ないし四日後となる。一方、実験的アレルギー性脳炎の潜伏期は概ね二週間前後である。よつて、原告の疾患は、HAワクチン接種によるものとするには、接種から発症までの期間があまりにも短かすぎる。」と主張する。

しかしながら、製造上マウスの脳を使用しており、微量ではあるがワクチンに脳物質が含まれる関係から脳脊髄炎が生じるのではないかということが問題となる日本脳炎ワクチンについて、ワクチン接種後から発病までの時間が数時間から数日後までさまざまであつたように、潜伏期にはバラツキがあるのであつて、純粋培養されたマウス等による動物実験の結果を直ちに人間に適用することの愚かさは多言を要しない。遅延型アレルギー反応の潜伏期を考える場合、免疫学的側面を重視せねばならぬのはもとよりであつて、その場合、たとえば、抗原(ワクチン)に対する抗体産生の感受性が先行的にある程度上昇しておれば、その後の同一抗原参加によつて発展する遅延型アレルギー反応の潜伏期もより短縮されるし、逆にその感受性の低下が先行しておれば、その潜伏期もより遷延性となる可能性がある。要するに、免疲学と神経病理学の双方を総合的に考慮した上で潜伏期を算定すべきである。

実際の症例について見ても、たとえばインフルエンザワクチン接種後三日目に発症したと思われる多発性硬化症(アデムと同様アレルギー機転が関与しているものと考えられている。)があるが、これについて、認定審査会は、インフルエンザワクチン接種が原因で右疾病が起こるとは考えられないとして因果関係を否定した。しかしながら、このような審査会の態度は、予防接種事故調査委員会が神経の専門医等に行つたアンケート(甲第四四号証の二)において、インフルエンザワクチン接種から神経症状発生までの時間による因果関係の有無について、一日ないし三日については「肯定的」、四日ないし六日では「意見不一致」との回答結果にも見られるように、専門医の間でも支持されているとはいい難いものである。また、法改正による救済制度創設以前の閣議了解による行政上の救済の時代には、インフルエンザワクチン接種の三日後に発症したと思われる脳炎がワクチン接種との因果関係を認定されている(甲第三八号証の三)ことからも被告の潜伏期についての主張の誤りは明らかであろう。

以上の点を考慮すれば、原告の場合接種から発症までの期間につきHAワクチン接種によるものとみて何ら不自然はなく、被告の前記主張は根拠のないものというべきである。

(6) ムンプス感染による発症の可能性の不存在

被告は、原告のアデムの原因としてムンプスの感染が考えられるとし、ムンプス患者には原告にみられる心室性期外収縮や神経症状を発現した報告例があること、ムンプスには耳下腺炎を伴わない不顕性の例も多いことをいう。しかしながら、ムンプス感染を裏付ける積極的証拠としては、ムンプスウイルス補体結合(CF)反応の変化を挙げているだけである。つまり、CF抗体価が昭和五二年一一月五日四倍未満、一一月七日四倍未満、一一月二〇日八倍、一一月二二日八倍、一二月七日四倍、翌年六月一七日四倍未満とその数値が一時的に上昇し、まもなく下降したことをとらえ、それによつてムンプスに感染した可能性があるとしているのである。

しかし、右のCF反応の変化をそのように評価するのは全くの誤りである。CF抗体価の右の変化は「手技によるブレ」の範囲を出るものではなく、ムンプス感染を示唆する有意の変化とはいえないものである。原告が事実ムンプスに感染しているのであれば、それがたとえ不顕性のムンプスであつても、CF抗体価が右のように上昇し、しかもまた元に戻るという小幅な変化にとどまることはなく、五週間目の血清で三二倍とか六四倍という急激な抗体価の上昇が見い出されるはずであり、特に原告のような重症患者の場合は、必ず大幅な抗体価の上昇がみられなければならない。しかるに、原告の場合右のようなCF抗体価の大幅な上昇はみられず、他方赤血球凝集反応の阻害反応(HI)の方には何の変化もないから、CF抗体価の前記変化が「手技」によるブレであることはその点からも疑いがない。被告は、不顕性のムンプスの症例報告がある以上、原告に耳下腺炎の徴候がなくてもムンプスに感染していないとは限らないという。しかしながら、不顕性というためには、症状として表にあらわれてはいないが、種種の血清学的反応を試みてその方に明瞭な抗体価の上昇が認められる場合を指すのであつて、そうした条件がそろつてはじめて不顕性ムンプスと診断されるのである。不顕性の場合抗体価の上昇が顕性のものに比べて低くなることはない。

以上述べたことからも明らかなように、表にあらわれた症状にもムンプスの形跡がなく、かつ、抗体反応に顕著な変化もない本件原告の場合は、本来ムンプスではないのであるから、不顕性ムンプスと診断するのは誤りである。更にまた、被告の主張するように、ムンプスウイルスが神経系に入つた場合、無菌性髄膜炎や脳炎を起こすことがありうることは乙第五号証にも報告されているとおりであるが、原告のようにアデムを起こしたとの例は報告されておらず、多発性の髄膜炎を伴つて脳炎と脊髄炎を起こしたというような例はない。

以上のように、被告のムンプス感染についての主張は全く根拠のないものといわなければならない。

(7) 右(1)ないし(6)に前記(三)を考え合わせれば、被告主張の基準によつても、本件ワクチン接種と本件疾病との間に因果関係が認められるものというべきである。

5よつて、原告は、被告のした本件棄却処分の取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否及び被告の主張

1請求の原因1の事実は認める。

2同2(一)の事実中、「翌三〇日朝は疼痛のため歩行ができない状態となり」との点は知らないが、その余の事実は認める。

同2(二)の事実は認める。なお、原告には神経症状の再燃は認められないようであり、本件疾病が多発性硬化症である可能性は一応否定してよいと考えられるが、原告の症状をみると典型的なアデムとはいい難い点もある。

3同3の事実は認める。

本件棄却処分の経緯は次のとおりである。

(一) 被告は、原告の請求を受け、本件疾病が本件ワクチン接種によるものであるか否かにつき厚生大臣の認定判断を受けるべく昭和五三年三月一一日付で宮城県知事を経由して厚生大臣に通達し、同大臣は、法第一六条第二項の規定に従いこれを公衆衛生審議会に諮問した。

(二) 公衆衛生審議会は、審議を重ねた結果、本件疾病が本件ワクチン接種により発現したとの蓋然性は著しく低く、医学上両者の間に因果関係が認められないとの結論に達し、医療費等給付不相当の答申を厚生大臣に行つたので、これを受けて同大臣は、昭和五四年一一月三日付厚生省収衛第二三三号により原告の本件疾病については法第一六条第一項の規定による認定をすることができない旨を宮城県知事を経由して被告に通知した。

(三) そこで、被告は本件請求を棄却することに決定し、その旨を昭和五四年一二月一二日付泉市指令第三六九号をもつて原告に通知したものである。

4同4の主張は争う。

公衆衛生審議会の前記結論は5で述べるとおり相当であつて、本件疾病については法第一六条第一項の規定による認定ができないとした厚生大臣の判断に誤りはなく、これに基づいてした被告の本件棄却処分には何らの違法もない。

5因果関係の有無についての被告の主張

(一) 予防接種と疾病との因果関係の認定基準

(1) 一般的に、医療行為と結果発生(障害)との因果関係については、訴訟上の立証の程度としては、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差しはさまない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるとされている。そして、予防接種による健康被害の救済の対象とするに当たつては、右の趣旨を承け、更に、制度の性格(国家補償的精神に基づき救済を行い、社会的公正を図る。)にかんがみ、因果関係の判定は、「特定の事実が特定の結果を予測しうる蓋然性を証明することによつて足りることとするのもやむをえない」とされているのである(伝染病予防調査会昭和五一年三月二二日答申第二の三)。

ところで、予防接種とその後に発生した疾病との因果関係については医学上未知の部分が存在し、その存否を医学的に証明することは困難である。これに加えて、通常、予防接種後の神経系疾患の臨床症状や病理学的所見は、予防接種以外の原因による疾患のそれと異なるものではないため(非特異性)、具体的に発生した疾患が予防接種によるものであるか又は他に原因があるかを的確に判定することは困難である。特に、脳炎・脳症においては、もともと原因不明なものが全体の六〇から七〇パーセントを占めており、その判定はより困難である。そうである以上、右因果関係の存否の判断は多くの場合疫学的方法によらざるをえず、疫学的方法に準拠する以上、症状・時期に一定の集積性が見られるはずである。

以上によれば、現実に発現した疫病があるワクチン接種に起因するというためには、①当該ワクチンからそのような症状が出ることが、経験的にあるいはワクチンの成分から理論的に考えられること、②副反応の発現時期が、当該ワクチンについて一般的に考えられている一定範囲の時期(好発時期)ないしそれに近接した時期であること、③当該疾病が、他の原因による疾病と考えるよりは当該ワクチン接種によるものと考える方が妥当性があること、を要件とすべきである。右①の要件は、換言すれば、接種から一定の期間内に発生した疾病が、それ以外の期間における発生数よりも統計上有意に高いことを示す信頼できるデータが存在し、かつ、当該予防接種によつてそのような疾病が発生しうることについて、医学上、合理的な根拠に基づいて説明できることである。もつとも右のうち又はのみが成り立つ場合であつても、その事実が客観的妥当性を有すると認められれば、右①の要件が充足されたものと認めてもさしつかえない。たとえば、狂犬病ワクチン接種後の脳脊髄炎は及びの要件を充たすものであり、原告が請求の原因4(四)(1)で主張するアメリカにおけるブタ型インフルエンザワクチン接種後のギランバレー症候群はの要件に、百日咳ワクチン接種後の脳症はの要件に該当するものとして、各ワクチンの副反応として是認されるといつてよい。

(2) 原告は、被告の因果関係の考え方は厳格すぎると批判し、消去法と時間的近接関係でもつて因果関係を肯定すべきであると主張する。しかしながら、原告の右考え方には、「原因不明のもの=特発性」を軽視している欠点がある。アデムについて特発性のものがあることは甲第四〇号証からも明らかである。したがつて、具体的な可能性を消去していけば、最後には、原因不明のものとワクチン接種とが残るはずである。そこで、更に、ワクチン接種を原因と考えることが相当かどうかの検討を行うべきであつて、「誘因と考えられているワクチンを打つている以上、ワクチンを誘因でない方に分類することは無理な考え」(証人斎藤博の証言)というのは、今一つ突つ込み不足である。

(二) これを本件についてみるに、(1)原告の症状(アデム)は、経験的にあるいはワクチンの成分から理論的にインフルエンザワクチンから起こることが現時点では認められておらず、(2)更に、本件では右ワクチンに起因するものとしてはその潜伏期が遅延型アレルギー反応としての潜伏期からみて少し早すぎ、(3)原告には卵アレルギーがないのであつて、原告の主張によつても発症の基盤を欠き、(4)右症状はむしろムンプス感染ないしは原因不明の可能性があるから、前記の要件をいずれも充たしておらず、本件疾病と本件ワクチン接種との間に因果関係を認めることはできないものというべきである。以下これらの点を詳述する。

(三) HAワクチンからアデムが起こることは、理論的にも経験的にも認められていない。

(1) HAワクチンには脱髄疾患の抗原として承認されている脳物質あるいは神経組織は含まれていない。

原告の罹患したアデムを含む脱髄性脳脊髄炎の発症機序及び原因は解明されていないが、原因がある程度推測されている極く少数の症例の一つとして、狂犬病ワクチン接種によつて右副反応が生ずるといわれている。特に、従来(昭和四七年以前)使用されていた狂犬病ワクチンは、動物(やぎ)の脳から作るため、すべての動物の脳にある共通抗原に対して産生される一種の自己抗体が脳脊髄に作用して脱髄現象を起こすのではないかと考えられている。また、日本脳炎ワクチンについても、製造上マウスの脳を使用しており、微量ではあるがワクチンに脳物質が含まれる関係から、脳脊髄炎が生じるのではないかということが問題となり、調査が行われ、その結果、集計された症例の中にはその可能性を示唆するものもないではなかつた。しかし、その症例は極めて少なく、接種後に偶然発症した可能性が高いといわれている。前者で脱髄性脳脊髄炎の発症が認められ、後者では確認できなかつたのは、前者が脳の神経組織を多量に含んだワクチンであつて、しかも、一四回以上も続けて接種するという抗原量の違いによるものと考えられている。これに対して、インフルエンザワクチンは右各ワクチンと製造方法が異なるため、神経組織は全く含まれていない。また、脳物質以外の抗原の存在については仮説の域を脱していない。したがつて、その接種によつて、脱髄性脳脊髄炎を起こすとは現代の医学では考え難い。

(2) 文献的検索

次に、文献的に、HAワクチンを含むインフルエンザワクチン接種後にこのような脱髄を推認せしめる神経疾患に罹患した例があるか否かについて検討する。インフルエンザワクチン接種後に種々の神経症状を呈した症例報告が散見されることは事実である。しかし、それらによつて特定の病型及び接種から発症までの時間に集積性を認めることはできない。

(イ) ヘネッセンらは、インフルエンザ予防接種後の神経疾患二八例について報告し、考察を加えている。しかし同症例の中には、原告ほど多発性な病変を示しているものは見られない。のみならず、著者らは、接種数の増加にもかかわらず報告例は減少しており、しかも接種から発症までの期間に集積性が見られないこと、また、抗原量と発生数の比較において、全ビールスワクチン(ホールワクチン)の方が精製ワクチンよりも抗原量が多いにもかかわらず発生数は少ないことなどからインフルエンザワクチン接種と右疾患との因果関係に懐疑的である。

(ロ) グエレロらの報告によると、米国で一九七六年一〇月一日から同年一二月一六日までの間に四五六五万人を対象として「A/ニュージャージー/七六株」のワクチン接種が行われたが、その後出現した中枢神経炎症性疾患の報告は三八例であつて、うち脳炎及び髄膜脳炎は一九例である。この出現頻度は、被接種者一〇万対0.042であつて、同年の全国的な脳炎及び無菌性髄膜炎の出現頻度、四週間に一〇万対0.19と比較して増加していない(むしろ低下している)のである。したがつて、ワクチン接種の期間中に発現した右一九例は、右期間(換言すれば、ワクチン接種の事実)と係わりなく発現した同種疾患と同じ原因によるもの、すなわちワクチンの接種と無関係に発現したものと推定するのが合理的なのである。

(ハ) 甲第一六号証ないし第二七号証にもインフルエンザワクチン接種後の神経系疾患の報告例があげられているが、右のうち、比較的多数例を集めたウェルズ(甲第一九号証)は、「現在のところ病因的関係は肯定するにも否定するにも方法がない(肯定も否定もできない)」と述べており、シュテール(甲第二二号証)も、「今日の知識では、インフルエンザ予防接種とそれに続く神経学的疾患の発現像との間の因果関係に賛成も反対もしうる。臨床的には潜伏している基礎疾患がある場合、ワクチン接種と感染後疾患の間の不慮の併発と同様ワクチン接種後の合併症の可能性も考えられる。……インフルエンザ予防接種後起こる神経疾患は、非常に稀にしか観察されず、今日まで、疑いもなくそれによつて起こるとはされていない。」と記述している。更に、一三例の症例を集めたエーレングート(甲第二三号証)は、「インフルエンザ予防接種後の神経合併症の起こる可能性は、今まで否定されたか単に詳細な一例報告に基づいて論議されたのみであつた。一九七一年になつてやつと、神経専門医のウェルズが次のように報告した。「現在のところ、病因関係を証明することも否定することもできない」と。インフルエンザ予防接種後に神経病が起こる事故に関する報告は稀であるので、その報告の中には全く偶然によるものが関係していると思われる。」としている。

右のように、複数の症例を解析した研究者の意見は、インフルエンザワクチンの接種とギランバレー症候群以外の神経系疾患の因果関係についていずれも懐疑的であるといわざるをえない。

(ニ) 原告は、「ウェルズ、シュテール、エーレングートはインフルエンザワクチンと神経疾患発現の可能性を全く否定してはいない」と主張する。しかし、右論文によつても、ある神経疾患が生じると他の神経疾患も生じるというふうに結びつけてよいか、その理由は何かについては、今一つ明らかではない。更に、これらの論文の前提になつているのはホールワクチンであるが、原告が接種を受けたのはHAワクチンである点にも留意すべきである。

なお、原告が指摘するところの猪瀬らの報告については、昭和四〇年三月という比較的初期のものであり、その症状経過からすると、インフルエンザワクチンを原因とするについて問題がないとはいい難い事例である。なぜなら、論者は本症例と当該ワクチンとの因果関係を推定する大きな理由として、当該ワクチン接種一週間後の発熱に着目しているが、一般に当該ワクチンによる発熱は接種後二四時間から四八時間以内に多いこと、発熱と近接して神経症状が出現していないことを考慮すると、本症例の発熱とインフルエンザワクチンとの因果関係及び発熱と神経症状との関係は極めて薄いといわざるをえない。したがつて、この発熱は、インフルエンザワクチン、神経症状と無関係に生じたものと推察されるのである。また、中村の報告については、「脳炎例」と表示されているが、全体の所見としてはむしろ脳症例と理解するのが相当と思われる事例であり、本件とは事案が異なるというべきである。

(ホ) 原告の挙示する証拠中には、クリュッケ論文(甲第五三号証)を引用して、「インフルエンザによつてアレルギー性脳炎が起こつた剖検例がある」とするものがある。しかしながら、右論文では「インフルエンザ様症状後の急性脱髄性脳炎」を扱つているが、インフルエンザ様症状は、インフルエンザのみならず種々の感染症の初期症状であること、特に、右論文においてクリュッケが対象とした兄弟患者のうち兄は、咳がありその後かゆさを伴う皮膚の水泡性発疹、リンパ腺と睾丸の腫脹が出現していることをみると、インフルエンザと考え難いことは明らかである。また、本症例が実際インフルエンザによるものであれば、クリュッケ博士ははつきりと「インフルエンザ後の急性脱髄性脳炎」と表現するはずである。したがつて、右クリュッケ論文を「インフルエンザから脱髄性脳炎が生じることを肯定した文献」として引用するのは、正当とはいい難い。

(ヘ) 以上のように、文献、疫学的データからみても、原告の疾患とHAワクチンとの因果関係を支持するものは何もないといわざるをえない。

(3) 次に、HAワクチン中に含有される卵成分を含めた蛋白質による本件のような疾病発症の可能性についてみるに、以下に述べるようにHAワクチン中には蛋白質は極めて微量しか含有されておらず、また、インフルエンザワクチン中の卵蛋白によつてアナフィラキシーショックを起こす可能性はあつても、卵蛋白によつて脳炎、特に原告の如き重篤な疾患を発症することは、過去の報告に照らしても到底考え難い。

(イ) HAワクチンは、ウイルスを発育鶏卵の漿尿腔内で培養させた後、超遠心機等で分離し、庶糖密度勾配遠心法で精製し、その後エーテルで分解し、脂質分画の除去を行うことにより製造される。我国では昭和四七年にHAワクチンが実用化されたが、それまでのインフルエンザワクチンは菌体成分のすべてを含むホールワクチンを使用していた。HAワクチンにおいては、抗体生成に必要な部分のみをウイルスから分離し、副作用にかなりのウエートを占める脂質を除去した結果、発熱、局所反応等の副作用が大幅に低減した。ウイルス成分を高度に精製する結果、卵成分は極く微量になつていると考えられており、証人石田多香雄も証言しているように「インフルエンザワクチンで何か副作用が起こつた時に卵の成分があるから、その起こすんだというふうな発想は、ちよつと一〇年前の発想と言いますか……」といえる状態にまでなつているのである。

(ロ) このようにして製造されたHAワクチンの接種によつて原告の体内に入つた蛋白質の量は、医学上有意とは到底認め難いほどに少量である。すなわち、動物実験によつてひき起こされるアレルギー性脳炎(実験的アレルギー性脳炎)の原因物質は、神経組織を精製することによつて得られる極く少量のオリゴペプタイド(蛋白質とアミノ酸の中間)であるが、それとHAワクチン接種によつて原告の体内に入つたと推定される蛋白質の量を比較してみると次のとおりである。まず、永井らによれば、モルモットについて、五マイクログラムの含トリプトファン四ペプタイドに0.1マイクログラムのNメチルムラミルLアラニルDイソグルタミン酸をアジュバント(抗体産生を増強する物質)として加えて、実験的アレルギー性脳脊髄炎を発生させたという。そこで、原告の受けたHAワクチン中の蛋白質含有量を計算すると(同ワクチンの生物学的製剤基準によれば、蛋白窒素含有量は一ミリリットル中三〇マイクログラム以下と規定されており、これを蛋白質含有量に換算すると、一ミリリットル中6.25(蛋白価)×30=18.75マイクログラム以下となる。原告は同ワクチンを0.3ミリリットル接種されたのであるから、体内に入つた蛋白量は18.75×0.3ゆえ)、5.625マイクログラム以下となる。これを前述した実験的アレルギー性脳炎を発生させる含トリプトファン四ペプタイドの量、五マイクログラムと対比すれば、物質の質すなわち、原告の体内に入つた粗蛋白質と特定の活性を有する神経組織由来のペプタイドの差及びヒトとモルモットの体重差を考慮に入れると、同ワクチン接種によつて体内に入つた蛋白質の量は、実験的アレルギー性脳炎を発生させるペプタイドの量に比較して微々たるものである。

(ハ) インフルエンザワクチン中の卵成分とその副作用の関係については、日本のワクチン(乙第一七号証)に述べられているとおり、インフルエンザワクチン一般について即時型のアナフィラキシーショック発生の可能性が考えられており、これを予防するために卵アレルギーが禁忌事項としてあけママられている(予防接種実施規則第四条第三項)。しかしながら前述の如く、原告の呈した疾患は即時型のアナフィラキシー反応とは全く異なるものであり、ワクチンの副作用には該当しない。

(4) 原告は、「Aニュージャージー型インフルエンザワクチン接種により末梢神経の遅延型アレルギー反応である多発性神経炎(ギランバレー症候群)が起こる以上、同じ発生機序によりインフルエンザワクチン接種によりアレルギー性脳炎が発生することが十分考えられる。」と主張する。たしかに、昭和五一年にアメリカ合衆国でブタインフルエンザ・ニュージャージー株(Aニュージャージー型インフルエンザワクチン)を接種した者にギランバレー症候群の多発が認められたことは原告主張(請求の原因4(四)(1))のとおりである。しかしながら、インフルエンザワクチン接種と多発性神経炎との疾学的因果関係はこの株のワクチンに限られたことで、その後のアメリカ合衆国での疫学的研究では、他のインフルエンザワクチン接種と多発性神経炎(ギランバレー症候群)との因果関係は認められていない(たとえば、一九七八年から一九七九年の接種について乙第四〇号証の一、二参照)。しかも、末梢神経と中枢神経の髄鞘の化学成分は異なつており、末梢神経のアレルギーが生じれば、中枢神経のアレルギーも発生しうるということは科学的根拠がない。なぜなら、アレルギーは物質の化学成分を基盤として発生するものであるからである。したがつて、原告の前記主張は失当である。

(5) 以上のとおりHAワクチン接種後の脳炎発生が統計上有意に高いとするデータは存在せず(仮に、過去のいくつかの症例報告から、脳炎発生の可能性を全く否定することはできないのではないかと言いえたとしても、右報告で用いられているのは大部分(ワクチンの種類が明らかでないものもある。)がホールワクチンであつて本件のようなHAワクチンではなく、しかも、本件のようなアデムという広義の脳炎の中でも特殊な疾病はほとんどみられない。)、しかも、合理的根拠に基づいて説明できる医学上の理論も認められていないから、一般論として、HAワクチン接種によつて脳炎が起こりうるということ自体否定せざるをえない。

(四) 原告は、その立証活動から推測するに、ワクチン中の卵蛋白によつてアレルギー反応の一方の型である遅延性アレルギーが生じ、原告の症状を呈したと主張するかの如くであるが、ワクチン中の卵蛋白による右症状発現の可能性が一般的に否定されることは(三)で述べたとおりであるほか、原告には次のとおり卵アレルギーはなかつたのであるから、右両者の因果関係はこれによつても否定される。

原告に卵によるアレルギーがなかつたことは、原告には甲第一四号証によつて明らかなように卵アレルギーを含めてアレルギー素因を示唆するものは何もなく、昭和五三年三月に行つた卵黄、卵白、鶏肉の過敏性テストがいずれも陰性であり、かつ、過敏性テストの後に症状の変化のなかつたことから確実である。

なお、甲第一四号証では過敏性テスト実施後一〇日以内に髄液グロブリンの変動がみられたことで卵蛋白注射と本症とを関係づけているが、髄液グロブリンの検査は多発性硬化症の診断基準として認められているものの、卵蛋白注射後、それも一〇日後のその変動が注射された物質に由来するというのは甲第一四号証の著者独自の推測であつて、医学的に確立された検査法では全くない。そもそも前述したように過敏性テストが否定され、その後も症状に変化のないものを、髄液グロブリンの変動という現象のみをとつて本症状と卵蛋白を関係づけようというのは極めて無理な推論というべきである。甲第一四号証中に引用されている卵蛋白とインフルエンザワクチンの関係について考察した文献は、いずれも卵アレルギーのあつた症例及び接種によりアナフィラキシー症状を呈したものについてのみであつて、甲第一四号証の著者の右推論を何ら支持する資料たりえない。また、甲第一四号証の著者は、卵蛋白注射後の免疫グロブリンの変動を(a)ACTH投与の漸減中止の結果、(b)卵蛋白注射により免疫反応が再賦活化された結果の二つについて検討し、後者の「可能性がかなり本当らしいと信ずる。」と記しているが、第三の可能性として原因不明あるいは偶然の変動を考慮しないのは非科学的といえる。更に、右(b)の点についても、増えたのは蛋白質の一部であるグロブリンGを主体とした免疫グロブリンだけではなくて、蛋白質全体が増加しており、蛋白質に占める免疫グロブリンの割合はほぼ一定である。仮にアレルギー反応が起こつたのであれば、特定のグロブリン分画が特異的に増えるはずであるから、右検査結果をもつて卵白が免疫反応を再賦活化させたと判断するのは妥当ではない。

(五) 本件の場合、ワクチン接種から発症までの期間は四日であつて、アレルギー反応としての症状の好発時期からはずれている。

原告の発症の日時は正確には決め難いが、原告が両側大腿に疼痛を訴えたのが矢内外科を受診した日の前日である昭和五二年一〇月二九日であつて、同外科のカルテ(甲第五号証)の「二日便秘」との記載を膀胱直腸障害と解釈した場合には同月二七日まで遡ることができ、同月二五日の本件ワクチン接種から二日ないし四日後となる。一方、実験的アレルギー性脳炎の潜伏期は概ね二週間前後である。よつて、原告の本件疾病は、HAワクチン接種によるものとするには接種から発症までの期間があまりにも短かすぎるといえる。

この点について、原告は、「あるワクチンに対する抗体産生の感受性が先行的にある程度上昇しておれば、その後の同一抗原参加によつて発展する遅延型アレルギー反応の潜伏期はより短縮される可能性がある。」と主張する。しかしながら、原告の右主張は、一般論としては是認しうるとしても、本件についてそういえるかは疑問である。すなわち、原告は、インフルエンザワクチンを昭和四二年(二回)、昭和四三年(二回)、昭和四六年(二回)の計六回受けてはいるが、最後の接種から六年経過しているし、また、卵白・卵黄・鶏肉に対する過敏性テストの結果が陰性であつたことからすると、副反応の潜伏期が四日(ないし二日)目まで早まるほど感受性が上昇していたとは考え難い。したがつて、「……四日ぐらいまで早くなるんだといわれればそれまでなんですけど、そういうことを考えても少し早いような気はします。」との証人木村三生夫の証言は妥当な意見と考えられる。

原告は、被告の潜伏期についての考え方をなお批判し、反証を挙げている。しかし、甲第三八号証の三の事例は、診断書が脳炎となつていたため「脳炎」とされたものであるが、脳炎か脳症かはつきりしないケースである。また、甲第四四号証の二は、予防接種研究班の分科会の一研究かと思われるが、まだ正式に研究報告がなされていないため、本証のアンケートがどのような条件の下になされ、どのような分析がなされたのか不明である。推測するに、インフルエンザから生ずる神経系副反応として一般に認められているのは脳症であるから、それを前提として本証のような潜伏期に関する意見が出てきたのではなかろうか。インフルエンザワクチンでアデムが起きるとし、その潜伏期が「一時間以上三日まで」とされたことは考え難い。両者は全く発症のメカニズムが異なるから、当然潜伏期も異なるのである。原告は、神経症状の種類を全く区別していない点で、本証の意味を誤解しているというべきである。

(六) 原告の疾患の原因として他に考えられるものはないであろうかとの観点から検討する。

(1) 次の(イ)及び(ロ)によれば、原告は発病当時ムンプスに罹患していた可能性が十分考えられる。

(イ) まず、原告は、昭和五二年一一月七日及び同月二二日の対血清が採取され、種々のウイルスについて補体結合(CF)反応の検査が行われた結果、ムンプスウイルスCF反応が右一一月七日と同月二二日の間で四倍未満から八倍へと上昇しているのが認められたが、このことは、CF反応の性格から考えて有意、すなわち原告の本件疾病の発症に近い時点でムンプスに感染した証跡となるものである。

原告は、本件のCF抗体価の変化を「その程度の上昇は手技のブレの範囲内」と主張するが、手技のブレであれば、本件のように滑らかな曲線になることの説明がしにくい。やはり、一つの感染を示すカーブであるというべきであろう。ちなみに、原告には耳下腺炎の臨床所見を認めるべき資料は見当らないが、耳下腺炎を伴わないムンプス感染がかなりの比率で存在することは周知の事実であり、右の点はムンプス感染を否定する理由にはならない。

(ロ) 次に、原告には昭和五二年一一月六日から翌七日にかけて胸痛を伴う心室性期外収縮が出現している。

ムンプスウイルスがウイルス性心筋炎の原因としてインフルエンザウイルス、風疹ウイルス、水痘ウイルス、種々のエンテロウイルスなどと共に並び称せられることは周知の事実であり、また、ムンプスウイルスによる心筋炎において、当然のことながら心室性期外収縮を認めることも経験されるのである。

(2) そこで、原告の呈した神経症状とムンプス感染との因果関係について検討する。

(イ) ムンプスの合併症として無菌性髄膜炎はよく経験されることである。のみならず、脳炎や脊髄炎を伴つた報告も数多い。ムンプスのうち神経症状を呈するものの割合は、マクリーンらによれば0.5から一〇パーセント、レビットらによれば一四二一例中六四例すなわち4.5パーセントである。もつとも、これらは、医療機関を訪れた患者、言い換えれば重症例に対する割合であつて、すべてのムンプスに対するものではないことに留意しなければならない。

(ロ) また、耳下腺炎を伴わずに、血清反応などで診断されたムンプスにも神経症状を示す例が多く、マクリーンら、レビットら及びジョーンストーンらの症例においては、それぞれ四三、四七及び七三パーセントの割合で耳下腺腫張が見られていないことも注目されるべきである。

(ハ) 過去に報告されたムンプス脳炎及び脊髄炎の症状は誠に多彩であつて、原告の呈した症状に関しても、視神経炎についてはデービスらが序論において指摘しているほどであり、横断性脊髄炎症状を呈した例をメドニックら、シュトルスブルグらが示しており、脊髄前角の変化をゴルドンが、脊髄神経根症状をカタラら及びゴッシュが報告している。また、本件でみられた原告の症状の部位的多発性についても同様で、ジョーンストーンらの目験例は、意識障害及び麻痺に加えて失語、失禁など多くの症状を具備しているのである。

(ニ) 剖検例の組織学的所見はドノウー、ドノウーら及びジョーンストーンらが記載しているが、それらによれば、概ね静脈のうつ血ないしは小出血及びその周囲の脱髄を主体とした病変、すなわちいわゆる静脈周囲性脳脊髄炎(アデム)を示すものがほとんどである。したがつて、ムンプスによつて原告のような多発性の脱髄病変が現われることは十分考えられることである。

なお、急性神経系の実態調査(乙第六号証)によれば、診断名別推定原因としては、原因不明、種痘、麻疹、水痘に次いでムンプスが多いことが示されている。

(3) 以上原告の症状経過及び検査所見と過去に報告されたムンプス脳脊髄炎を比較考証してくると、原告の本件疾病はムンプス感染によるものとして何ら矛盾することはなく、むしろその可能性が十分考えられるというべきである。

(七) 以上のように、本件の場合は、因果関係の存在を認めるための要件のいずれをも満たしておらず、むしろムンプスによる脳炎の疑いが否定できないのである(なお付言するに、ワクチンとその後に発生した疾病との因果関係については医学上未知の部分が存在するものであつて、これを完全に否定し去ることは本質的に不可能であり、また求めうべきものでもない。)。このような意味において、公衆衛生審議会が、本件におけるワクチン接種と疾病発生の蓋然性は著しく低く、医学上、当該具体的結果の発生を否定的に予測するのが通常であると判断し、非該当の答申をしたことは、十分首肯できるのである。

第三  証拠関係《省略》

理由

(予防接種の実施、原告の発病及び行政処分の存在)

一請求の原因1ないし3の事実(ただし、同2の事実中原告が昭和五二年一〇月三〇日朝疼痛のため歩行ができない状態となつたことを除く。)は原、被告間に争いがなく、<書証>によれば、右括弧内で除外した事実を認めることができる。更に、<証拠>を総合すれば、本件棄却処分の経緯は被告主張(請求の原因に対する認否3第二段(一)ないし(三)の事実)のとおりであるものと認めることができる。

(予防接種と疾病との因果関係)

二法第一六条第一項に基づく給付を受けるためには、当該疾病と予防接種との間に因果関係が認められなければならないことは同条の規定から明らかであるところ、法は右因果関係の認定は厚生大臣が公衆衛生審議会の意見を聴いてこれを行うこととしている。これは、右認定には高度の医学的知識を必要とし、また全国的に公平に判定されるべきであるとの趣旨によるものと解されるのであるが、右認定は、被害者からの直接の申請に基づきなされるものではなく、被害者からこの制度に基づく給付請求を受けた市町村長が給付決定の前段階として厚生大臣に認定進達を行うという流れで行われ、認定拒否に対する被害者からの独立した不服申立を認める規定が何ら具備されていないことにかんがみれば、右認定は市町村長と厚生大臣という行政機関相互間でなされる内部的な行為とみるのが相当である。したがつて右認定を拒否された被害者は、給付申請の棄却という市町村長の行政処分に対する不服申立の手続の中で因果関係を認定できないとした厚生大臣の判断の当否を争いうべく、右不服申立が右棄却処分に対する抗告訴訟によりなされたときは、裁判所において直接右因果関係の有無を審理判断し、その結果もし右因果関係が認められる場合には、裁判所は、右棄却処分が前提となる事実の誤認に基づく違法なものとしてこれを取り消すべきことになる(この場合、右因果関係ありとの判断が行政事件訴訟法第三三条に規定する取消判決の拘束力を有することはいうまでもない。)。

これを本件についてみるに、前項で確定した事実によれば、被告から宮城県知事を通じて認定の進達を受けた厚生大臣は、法第一六条第二項の規定による諮問に対する公衆衛生審議会の本件疾病と本件ワクチン接種との間に因果関係は認められないとの答申に基づき、被告に対し、本件疾病について法第一六条第一項の規定による認定を拒否する旨通知し、被告はこれを理由に原告の医療費等の給付申請を棄却した。これに対して、原告は本訴を提起し、本件疾病は法第一六条以下の給付制度の適用上本件ワクチン接種に起因するものであつて、厚生大臣による前記認定拒否は誤りである旨主張する。したがつて、前段で判示したところによれば、本件においてはまず疾病とワクチン接種との因果関係の有無につき判断すべきことになる。

三そこで、本件疾病と本件ワクチン接種との間に法第一六条以下の給付制度(以下「本件救済制度」という。)適用の前提となる因果関係が認められるかどうかにつき審究する。

1  因果関係判定の基準について

(一)  一般に訴訟上の因果関係の立証は、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は通常人が疑を差しはさまない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解されている(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁)。たとえば、債務不履行や不法行為に基づく損害賠償請求のような一般的な制度に基づく訴訟において因果関係が問題となる場合には右の理がそのまま妥当する。

しかしながら、本来因果関係を認めるための証明の程度は各制度がその存在を要件とする理由に照らして合目的的、機能的に判断されるべきものであつて(広く見れば、一般に承認されている裁判上の証明と自然科学的証明の差異もここに由来する。)、個別的な制度において因果関係についての立証の程度を緩和することはもとより可能であり、ある制度が右立証の程度を緩和しているものと認められる場合には、その制度の趣旨、目的に適合するよう因果関係肯定の要件を解釈することが必要というべきである。

(二)  右(一)の観点から、本件救済制度適用の前提となる疾病と予防接種との因果関係の判定の基準について検討する。

(1) 法第一六条以下の給付制度(本件救済制度)の性格

<証拠>を総合すれば、法による予防接種制度は、伝染病の集団的まん延防止は集団の非感受性者の比率が高まることにより集団免疫の現象が生じ当該伝染病の流行が阻止されることによつて達成できるという経験則と理論に基づき、集団内の各個人に(疾病の予防に有効であることが確認されている免疫原(ワクチン)を注射し又は接種して)免疫を賦与することにより集団の免疫水準を維持し、その効果により伝染病の流行を防止し、当該個人はもとより社会の防衛を図ることを究極の目的とするものであること、しかるところ、予防接種は、右目的のため人体への侵襲行為の一つとしてワクチンという異物を健康者に接種するものであつて、一般の医療行為と同様、関係者がいかに注意を払つても微少の確率ではあるが不可避的に事故が起こりうることは現代医学をもつてしても否定できないこと、しかしながら、前記の目的を達成するためには、接種率の確保が重要なポイントとなることから、法はそれにもかかわらず国民に対して右接種を義務づけていること、ところで、法はその一方で第一六条以下により予防接種による健康被害者に対する医療費等の給付制度(本件救済制度)を規定しているが、これは究極的には社会防衛を図る目的の下に義務づけられた被接種者において、不可避的に重篤な副反応がみられ、そのために医療を要し、障害を残し、ときには死亡するようなことが発生した場合には、社会的な責任においてこれを迅速に救済することが必要との考えから、昭和四五年七月三一日の閣議了解による当面緊急の行政措置による救済を経て、昭和五一年法律第六九号による法の改正により新たに設けられたものであること、以上の事実を認めることができる。

上叙認定した事実に法第一六条以下に規定する給付の要件、給付内容及び給付主体等を考え合わせれば、右給付制度は前叙のように社会的に特別の意味を有する事故に対して、相互扶助、社会的公正の理念に立ちつつ、公的補償の精神をも加味して図られる独自の救済措置として位置づけるのが相当である(右制度の制定につき諮問を受けた伝染病予防調査会の答申(乙第二号証)はこれを「国家補償的精神に基づく法的措置による救済制度」と表現しているが、右判示と同趣旨の見解に立つものと考えられる。)。

(2) 予防接種による副反応研究の現状

<証拠>を総合すれば、法第二条所定の疾病に対して行われる予防接種のワクチンによる副反応につき医学専門家の間で一般に承認されているところとしては、①発症部位が脳・脊髄等の神経領域に多く見られること(空間的密接性)、②右神経系の副反応は(イ)病変が主として髄膜及び白質に見られる遅延型アレルギー型(自己免疫病)、(ロ)病変が主として髄膜又は灰白質に見られるウイルス血症及び増殖型、(ハ)急性脳症型(即時型アナフィラキシー反応)の三類型に分類でき、③右(イ)から(ハ)までの各反応ごとに発症時間につきワクチン接種との間に時間的集積性がみられること(時間的密接性)があげられること、しかしながら、各種ワクチンの接種による副反応の実態及びその発症のメカニズムにつき、未だ研究途上にあつて最高水準の医学知識をもつてしても十分には解明されていないものも多く、個々のケースにおいて予防接種とその後に起こつた疾病との因果関係を完全に医学的に証明することが事実上不可能な場合もあること、以上の事実を認めることができる。

(3) 立法者の意思及び救済制度の運用の実情

<証拠>を総合すれば、本件救済制度の立法者は、前記(1)で判示したように右制度を性格づけたうえで、同(2)で認定したような予防接種による副反応研究の現状を踏まえて、因果関係の判定は特定の事実が特定の結果を予測しうる蓋然性を証明することによつて足りることとするのもやむをえず、本件救済制度の適用において疑わしきものは右因果関係を認定するという方針で臨むべきものと考えていたこと(なお、前記閣議了解による時代、行政措置の対象となる予防接種の副反応と認められる疾病の中には、副反応の疑のある疾病も含むものとされていた。)、しかして、法第一六条以下による給付制度の実施により昭和五三年以降厚生大臣の諮問を受けて右因果関係判定の業務を担当することとなつた公衆衛生審議会の内で、実質的な審査を担当する専門部会である予防接種健康被害認定部会においても、右のような因果関係判定の考え方を取り入れて、予防接種後四八時間以内に前記(2)①のような疾病が発現した場合には、原則として右予防接種と疾病との因果関係を認定するという内部基準を立てるなどして、因果関係立証の程度を緩和して右業務を処理してきていること(なお、救済制度適用の前提としての予防接種と疾病との因果関係の認定業務を担当していた従前の機関、すなわち閣議了解に基づく行政措置の時代の予防接種事故審査会、法第一六条による給付制度の発足当初の伝染病予防調査会(認定部会)も右同様にして認定業務を処理していた。)、以上の事実を認めることができる。

(4) 上叙認定、判示したような法第一六条以下の本件救済制度の性格、予防接種による副反応研究の現状、立法者の意思及び救済制度運用の実情を総合勘案すれば、予防接種後に起こつた疾病が前記(2)①ないし③の場合に該当するときは、本件救済制度適用の関係では原則として右疾病と予防接種との間に因果関係を肯定し、同制度による被接種者の救済を図るべきものと解するのが制度の趣旨・目的に適合するものというべきである。

なお、原告は、(他原因消去の要件を別とすれば、)ワクチン接種と発病との間に一定の時間的近接関係があれば右因果関係を肯定すべきであると主張する。しかしながら、前記の場合に該当しないものについて単に右近接関係が認められるからといつて因果関係を肯定すべきでないことは、前叙(2)で認定した予防接種による副反応研究の現段階における成果に照らして明らかというべきであるから、原告の前記主張は採用できない。

(三)  これに対して、被告は、右因果関係を肯定するためには、当該ワクチンからそのような症状が出ることが経験的にあるいはワクチンの成分から理論的に考えられることを要件とすべきであると主張する。もちろん、当該ワクチンから副反応としてそのような症状が発現することが理論上又は経験上否定されている場合には右因果関係を否定すべきであることはいうまでもない。たとえば、前掲甲第四三号証、第九三号証によれば、ウイルス血症及び増殖型の副反応は生ワクチン内に含まれる弱毒ウイルスによるものと考えられ、不活化ワクチンであるインフルエンザワクチンや細菌性ワクチンである百日咳ワクチンなどでは右副反応は理論的に起こりえないとされていることを認めることができるから、このような場合には右副反応と右各ワクチンとの間の因果関係は一般的に否定すべきである。

しかしながら、<証拠>を総合すれば、ワクチン接種による副反応の症例報告は狂犬病予防接種後脳脊髄炎を除き比較的少ないが、これは予防接種による副反応研究の現状が前叙のとおりであることもあつて、医学的な因果関係の判定が容易ではなく、その報告に慎重になり又は医師に見過ごされる可能性が多分に存するためであること、右の点に関連して、我国においてワクチン接種後の疾病発生状況について正確な調査が行われているとはいえず、当該疾病の通常の発生率とワクチン接種後の発生率とを比較することが理論的には可能であつても、実際の統計値として有意の差となつてあらわれるとは限らないこと、以上の事実を認めることができる。そうである以上、当該ワクチンからそのような疾病が発現したという症例報告がないとか接種から一定期間内に発生した疾病がそれ以外の期間における発生数よりも統計上有意に高いことを示す信頼できるデータが存在しないからといつて、そのことが直ちに両者の間の因果関係を否定すべき十分な根拠となるものということはできない。

更に、理論の面からみても、当該ワクチンからある副反応が発現することが理論上認められるかどうかにつき、医学上これを肯定する説があり、右説が医学上の経験的事実に基づく帰結であり、右説において当該ワクチンから右疾病が発現するメカニズムについて既存の医学上の知見と矛盾せずに科学的な説明ができる仮説を有する場合には、右仮説が未だ実証されておらず、かつ右両者の間の因果関係を否定する説があつて、右肯定説が一般に承認されるまでには至つていなくても、理論上の因果関係を否定して救済制度の適用を拒むことは相当でない。なぜなら、前叙(二)(2)のような予防接種による副反応の研究の実情にかんがみれば、将来右仮説が実証されて右因果関係が医学上一般に承認される余地が存する限り可制度による救済の対象とするのが(二)で判示した本件救済制度の趣旨、目的に適うものと解されるからである。したがって、因果関係を肯定するための要件として積極的に当該ワクチンからそのような症状が出現することが経験的にあるいはワクチンの成分から理論的に考えられることを求める被告の主張は以上の限度で失当である。

(四)  次に、被告は、右因果関係を肯定するための要件として、すくなくとも他の原因による疾病と考えるよりはワクチン接種によるものと考えるほうが妥当性があることを必要とする旨主張する。この点についても、ワクチン接種によるよりも他の原因による疾病と考えるほうが医学上合理性がある場合にワクチン接種と疾病との間の因果関係を否定すべきことは当然である。しかしながら、<証拠>を総合すれば、一般に予防接種後の神経系疾患の臨床症状や病理学的所見には特異性がなく、予防接種以外の原因による疫病のそれと異なるものでないため、具体的に発生した疾病が予防接種によるものであるかそれとも他の原因によるものであるかを的確に判定することは困難であることを認めることができる。このような疾病について、それが前記(二)(2)①ないし③の場合に該当するときに、予防接種以外の原因によるものと考えるべき医学上の合理性が認められないにかかわらず、積極的にワクチン接種以外の原因又は原因不明によるものでないことを証明できないからといつて因果関係を否定することは、前記(二)(2)のような現状のもとでは本件救済制度による救済の範囲を著しくせばめることにもなりかねず、制度の趣旨、目的にそわない(更には、前記(二)(3)で認定したような立法者の意思及び制度の従来の運用とも矛盾をきたす)ものであつて、右のような見解を採ることはできない。被告の前記主張は、以上述べた限度で失当というべきである。

(五)  以上判示したところをまとめると、本件救済制度適用の前提となるワクチン接種と疾病との因果関係を肯定するためには、次の(1)ないし(3)の要件を充足することが必要であり、かつ、特段の事情がない限り、右充足をもつて足りるものと解するのが相当というべきである。

(1) 当該ワクチンから右疾病が生ずることが理論上又は経験上否定されていないこと(以下「第一要件」という。)

(2) 当該ケースにおいて、右両者の間に時間的、空間的密接性があること(以下「第二要件」という。)

(3) その疾病が当該ワクチン接種によるよりも他の原因(原因不明をも含めて)によるものと考えるほうが合理性がある場合でないこと(以下「第三要件」という

しかして、これを立証の問題として見た場合、当該ワクチンからその疾病が生ずることが理論上又は経験上否定されることが証明されない限り第一要件が、また、その疾病が当該ワクチン接種によるよりも他の原因(原因不明をも含めて)によるものと考えるほうが合理性があることが証明されない限り第三要件が充足されたものと認めるべきことになり、したがつて右各証明は因果関係を否定する側すなわち本訴においては被告においてこれをなすべき責任があるものと解すべきである。

2  本件における因果関係の有無について

右の基準に従つて、以下本件ワクチン接種と本件疾病との因果関係の有無につき判断することとする。

(一)  第一要件の充足

本件ワクチン接種がインフルエンザHAワクチンによるものであること及び原告の本件疾病がアデムであることは前叙確定したとおりであるところ、被告はHAワクチンからアデムが起こることは経験的にも理論的にも認められない旨主張するので、その当否につき判断する。

(1) <証拠>を総合すれば、医学上一般に承認されていることとして、アデムとは急性に発病する中枢神経系の散在性炎症性疾患であり、その経過は単相性で、病理学的に静脈周囲性細胞浸潤及び脱髄巣を示すものをいい、原因的にみて特発性のもの(特発性散在性脳脊髄炎)、急性感染疾患に続発するもの(感染後脳脊髄炎)及び各種ワクチン接種後にみられるもの(ワクチン接種後脳脊髄炎)の三類型に分類されること、このうち、感染後脳脊髄炎は流行性耳下腺炎(ムンプス)や麻疹、帯状包疹などの感染後一定の潜伏期間を経て、またワクチン接種後脳脊髄炎は一般には狂犬病ワクチンや種痘の接種後一定の潜伏期間を経て発症してくること、その臨床症状、病理所見は一般に類似しており区別し難いが、実験的アレルギー性脳脊髄炎(EAE)の病理像に類似することから、遅延型過敏症によるアレルギー性脱髄炎と考えられること、以上の事実を認めることができる。

次に、証人松山春郎の証言に弁論の全趣旨を総合して我国における代表的な専門書の一つと認めるべき沖中重雄監修「神経学」(南江堂発行)第四巻(前掲甲第四〇号証)は、ワクチン接種後脳脊髄炎の原因の一例としてインフルエンザワクチンをあげている。

しかして、アメリカ合衆国において一九七六年(昭和五一年)一〇月一日から同年一二月一六日までの間に行われたAニュージャージー型インフルエンザワクチンの接種によつてギランバレー症候群の多発が認められた事実は原、被告間に争いがなく、前掲甲第五七号証の三によれば、右ギランバレー症候群は末梢神経の遅延型アレルギー反応たる多発性神経炎であること、アレルギー性機構があつた場合に遅延型アレルギー反応が末梢神経に現われれば多発性神経炎に、脳に現われれば脳炎になること、したがつてAニュージャージー型インフルエンザワクチン接種により右のとおり多発性神経炎が起こる以上、同じ発生機序によりインフルエンザワクチン接種によりアレルギー性脳炎が発生することが十分考えられること、以上の事実を認めることができる。

上叙認定した事実を総合すれば、インフルエンザワクチン接種によつてアデム(ワクチン接種後脳脊髄炎)が起こる可能性を肯認しうる。

(2) これに対して、証人松山春郎又は同木村三生夫は、①アデムの発生機序は、髄鞘を構成する塩基性蛋白が抗原となつてリンパ球を感作し、この感作リンパ球(細胞免疫)が血管を経由して脳脊髄に達し、その髄鞘を選択的に破壊してひき起こすところの自己免疫疾患であり、②狂犬病ワクチンの接種によつてアデムが発症するのは、同ワクチンが動物(やぎ)の脳の中で狂犬病ウイルスを培養することによつて作られるため、すべての動物の脳にある共通抗原を含んでおり、そのため同ワクチンの接種により右抗原に対して一種の自己抗体(細胞免疫たる感作リンパ球)が産生され、これが脳脊髄に作用して脱髄現象を起こすのに対して、③インフルエンザワクチンは、インフルエンザウイルスを鶏卵の中で培養して製造されるもので、抗原となるべき脳物質を含んでいないから、同ワクチンによつてアデムが起こることは考えられない旨証言する。

なるほど右各証人の証言によれば、右②の点はEAEの実験結果によつて実証されていることを認めることができる。しかしながら、アデムが種痘によつても起こることが一般に承認されていることは前記認定のとおりであるところ、証人松山春郎の証言によつても、その発症機序は未だ解明されていないことが認められる。更に、生ワクチンであつて発症機序が不活化ワクチンとは異なりうる右種痘はさておいても、インフルエンザワクチン接種によつて遅延型アレルギー反応の一種であるギランバレー症候群(多発性神経炎)の発症が見られたことは前記確定したとおりであるところ(<証拠>によれば、アメリカ合衆国での調査結果では、前記一九七六年のAニュージャージー型以外のインフルエンザの接種からギランバレー症候群が発生したとの疫学的報告は得られていないことが認められるけれども、この事実のみでは右以外のインフルエンザワクチンによるギランバレー症候群発生の可能性を一般的に否定するには足りない。そして、<証拠>を総合すれば、公衆衛生審議会予防接種健康被害認定部会は、昭和五五年、インフルエンザHAワクチン接種後発現した多発性神経炎の事例について、アメリカ合衆国での発生報告などから右ワクチン接種との因果関係を否定できないとの結論を出していることを認めることができる。)、ギランバレー症候群はアデム同様髄鞘そのものに対するアレルギー反応であるにかかわらず、右①の考え方によつては右発症機序の説明がつかないことは、証人松山春郎自身自認する証言をしているところであつて、これらのことに<証拠>を合わせ考慮すれば、右②の事実から一般的にアデム(ワクチン接種後脳脊髄炎)の原因物質を右①のようにせまく脳(神経)物質のみに限定することの合理性には疑問が残るものといわざるをえない。

また、被告は、未梢神経と中枢神経とでは髄鞘の化学成分は異なつているから末梢神経のアレルギーが生じれば中枢神経のアレルギーも発生しうるということは科学的根拠がない旨主張する。しかしながら、右主張はアデムの原因物質を前記①のように考える立場に基づくものと解されるところ、右のような考え自体の合理性に疑問が存する以上、右被告の主張自体妥当性を欠くものというべきである。

他方において、前掲甲第四〇号証は、ワクチン接種後脳脊髄炎の原因物質として、種痘のような生ワクチンは別としても、不活化ワクチンにつき動物の神経組織のみならずその他の異種蛋白をもあげており、また、前掲甲第四三号証によれば、バーネットは、神経組織を含まないある種の生ワクチン及び不活化ワクチンにも動物の神経組織に共通する抗原性があり、また接種後にもこの種の共通抗原が形成され、それらが攻撃的な共通抗体その他を産生し、その結果神経系の脱髄炎がひき起こされるという自己免疫反応としてワクチン接種後脳脊髄炎の発症機序の説明を試みていることが認められる。もつとも、同号証によれば、神経組織のどの分画に抗原性があり、それが確実に脱髄炎をひき起こすか否かの点についてはいぜんとしてなお確実さと明瞭さを欠いており、右バーネットの説は現在なお仮説の域を脱するものとはいえないものと認めることができるけれども、右仮説を既存の医学上の知見と矛盾するものとして否定すべき論拠を見出しうる証拠もない。

以上によれば、HAワクチンからアデムが発症する可能性については、医学上これを否定すべきとする立場に疑問が残り、他方右可能性を肯定する説があり、右説は医学上の経験的事実(Aニュージャージー型ワクチンからのギランバレー症候群の発生)に基づく帰結であつて、右発症のメカニズムについて既存の医学上の知見と矛盾せずに科学的な説明ができるのであるから、HAワクチンの接種とアデムとの間に理論上の因果関係を否定することはできない。

(3) 次に、文献上の症例報告について検討するに、原告挙示の証拠によるも、過去にインフルエンザワクチンの接種によりアデムが起こつたとの症例報告の存在を認めることはできない(原告主張の猪瀬ら及び中村晴臣の各報告は、被告の反論に係る疑問を解明するに足りる証拠のない本件では、右症例報告の一と認めることはできない。)。しかしながら、前記1(三)で判示したところによれば、右の点から直ちに右ワクチンの接種によるアデム発症の可能性を否定すべきでないことは明らかである。

<証拠>によれば、たしかにウェルズ、シュテール、エーレングートは、各その論文において被告主張(5因果関係の有無についての被告の主張(三)(2)(ハ))のとおり記述していることを認めることができる。しかしながら、右各証拠によれば、右著者らはいずれも原告主張のようにインフルエンザワクチンによる神経疾患の発現の可能性を全く否定してはいないものと認めるのが相当である。また、<証拠>によれば、ヘネッセンら及びグエレロらはそれぞれ被告主張(5因果関係の有無についての被告の主張(三)(2)(イ)・(ロ))のとおりの報告をしていることが認められる。しかしながら、前記1(三)で判示した疫学的研究の不完全性に証人石田名香雄の証言を考え合わせれば、未だ右ヘネッセンら及びグエレロらの報告をもつてインフルエンザワクチン接種によるアレルギー性脳脊髄炎の発症の可能性を否定すべき論拠とするに足りないものというべきである。

以上要するに、文献上の症例報告からは、インフルエンザワクチンの接種によるアデム発症の可能性を肯定すべきものとも否定すべきものとも決し難いものというほかはない。

そして、証人木村三生夫の証言に弁論の全趣旨を総合すれば、我国におけるインフルエンザワクチン接種後のアレルギー性脳炎の発生頻度を正確に把握するうえで信頼できるデータがいまだ存しないことを認めることができるから、そうである以上これと偶発的(すなわち特発性の)アレルギー性脳炎の発生頻度との比較による疫学的判断もまた不可能に帰することになる。

(4) 以上の点を総合すれば、前記(1)末段の判断は被告挙示の各証拠によつてもこれを覆す要をみないものである。すくなくとも、HAワクチンからアデム(ワクチン接種後脳脊髄炎)が生ずることが理論的に又は経験上否定されるものということができないことは、右(2)及び(3)で判示したところから明らかである。

してみれば、本件疾病は本件ワクチン接種との間の因果関係を肯定するための第一要件を充足するものというべきである。

(5) インフルエンザワクチンの接種によりアデムが発症する可能性を認めた場合に、<証拠>及び証人板原克哉、同石田名香雄の各証言を総合すれば、その原因物質としては、①同ワクチンの本体をなすインフルエンザウイルスの化学的物質自体(インフルエンザの自然感染でも急性脱髄性脳炎が見られ、ワクチンの場合インフルエンザウイルスは不活化されてはいるが、その化学的物質はワクチン中に残つていることから、その可能性が考えられる。)、②同ワクチン製造過程でこれに必然的に含有されることとなる鶏卵成分が考えられる。もつとも、証人石田名香雄の証言によれば、右のほかワクチン製造過程でワクチン中に混入することがある夾雑物も原因物質となる可能性が認められるけれども、この点は、右証言によつてもワクチン製造上必然的に随伴する現象とまでは認めることができず、このような可能性を具体的に窺わせるべき証拠は存しないから、本件においては、右の可能性を判断の基礎とすることはできない。

被告は、HAワクチンの製造方法及び卵蛋白による通常の副反応の類型(アナフィラキシー・ショック)から、卵蛋白が原因物質であるとは考え難いと主張し、証人松山春郎は右主張にそう証言をする。なるほど、<証拠>及び証人木村三生夫の証言によれば、HAワクチンの製造方法は被告主張(5因果関係の有無についての被告の主張(三)(3)(イ))のとおりであることを認めることができる。しかしながら、<証拠>及び証人石田名香雄の証言によれば、右の製造方法によつてもHAワクチンから卵白成分を完全に除去することはできず、しかして、卵白成分である卵アルプミンが遅延型アレルギー反応の抗原となりえないものとの医学上の定説はなく、むしろ、過去に報告されたインフルエンザワクチン接種後の神経障害の症例では卵蛋白に対する過敏性が異常免疫反応の重要な惹起因子とみなされていること、以上の事実を認めることができ、右事実に照らせば、証人松山春郎の前記証言はたやすく措信できず、他に被告の前記主張を支持する証拠はない。

(6) 原告の卵アレルギーについて

なお、右の点に関連して、被告は、原告には卵アレルギーがなかつたから、インフルエンザワクチン中の卵蛋白と本件症状との因果関係は否定される、と主張する。

しかしながら、ワクチン接種後脳脊髄炎の原因物質としてはワクチン中の卵蛋白以外にインフルエンザウイルスの化学的物質自体も考えられることは前記判示したとおりであるから、仮に原告に卵アレルギーがなかつたとしてもこれによつて本件疾病がインフルエンザワクチン接種による可能性を否定すべきことにはならない。のみならず、前掲甲第一四号証及び証人斎藤博、同板原克哉、同石田名香雄の各証言を総合すれば、原告は発病の約一四〇日後に行われた卵白による皮内テストから七日ないし一〇日経過した時点で検査の結果、髄液中の免疫グロブリンに性質の変化、量の増加が見られたが、これは原告が卵蛋白によつて既に感作されていたことを示すこと、なお、原告は右皮内テストの際反応がマイナスであつたが、このことは必ずしも右のように解することの妨げとはならないことを認めることができ、証人木村三生夫、同松山春郎の各証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。上叙認定の事実に徴すれば、原告の本件疾病は卵蛋白を抗原とするアレルギー反応とみる余地が残るものというべきであるから(前掲甲第一四号証に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は本件ワクチン接種に至るまで日常生活上卵アレルギーはみられなかつた事実が認められる。しかしながら、前記の検査所見から以上のとおり判断されるのであるから、単に右の事実をもつてこの判断を妨げることはできない。)、被告の前記主張は失当である。

(二)  第二要件の充足について

(1) 本件疾病が第二要件のうち本件ワクチンとの空間的密接性を有することは明らかである。

(2) すすんで、時間的密接性の要件を充足するかどうかにつき検討する。

(イ) <証拠>及び証人石田名香雄の証言を総合すれば、ワクチン接種によつてアレルギー性副反応が発生するまでに要する時間は、即時型アナフィラキシー反応である急性脳症型の場合には接種後数十時間以内と短いのが通常であるのに対して、遅延型アレルギーによるワクチン接種後脳脊髄炎においては接種後数日から十数日、更には数十日を要するが、早ければ接種後四日目位まで潜伏期間が短縮されうることを認めることができる(なお、原告の挙示する甲第四四号証の二は、被告の主張するとおり、その調査に係るアンケートがどのような条件のもとになされ、どのような分析がなされたのかが不明であるから、これを右潜伏期間の認定の用に供することはできない。)。

他方、前叙第一項で確定した原告の発病の経過(請求の原因2(一)の事実)によれば、原告による本件疾病の発症は本件ワクチン接種から四日後の昭和五二年一〇月二九日夕刻と認めるのが相当である(<証拠>によれば、原告はその二日前ころから便秘をしていた事実を認めることができるけれども、その間右便秘以外にアデムの発症を窺わせるような症状の発現は認められず、右便秘がアデムによる膀胱直腸障害と認めるに足りる証拠はない。)。

そうとすれば、本件疾病は、本件ワクチン接種による遅延型アレルギー反応としてのアデム(ワクチン接種後脳脊髄炎)の発症可能期間内に発症したものと認められるから、本件ワクチン接種との時間的密接性をも肯認できるものというべきである。

(ロ) これに対して、証人木村三生夫、同松山春郎は、ワクチン接種によりアデムが発症する場合その潜伏期は二週間位を要すると考えられるから、ワクチン接種後遅くとも四日目に発病している原告の本件疾病は本件ワクチン接種によるものとは考えられない、と証言する。右潜伏期間算定の根拠となつているのが、①ワクチン接種後脳脊髄炎と病理像が類似しているところから、その実験的モデルと考えられる実験的アレルギー性脳脊髄炎(EAE)によれば、抗原接種後アデムを発症させるまでの期間は通常二週間位であつて、いかにこれを短縮させるよう操作を加えても一週間は要すること、②狂犬病ワクチンにおいても、潜伏期はワクチン接種後二、三週間と考えられていること、の二点であることは右各証人の証言から明らかである。しかしながら、前記(一)(2)で述べたように、アデム(ワクチン接種後脳脊髄炎)の発症機序は未だ完全に解明されるには至つていないのであつて、インフルエンザワクチンによつてアデムが起こりうることを前提にした場合にこれがその発症時間について動物実験によるEAEにおけるそれと近似性を有することを断定しうべき証拠はない。したがつて、右①はこれと合致しない潜伏期の可能性を排除する根拠としては合理性に欠ける。また、<証拠>及び証人石田名香雄の証言によれば、アレルギー性脳炎の潜伏期は個人によつて相当の差があり、接種後の経過期間と発症個体数の関係をグラフにすると自然曲線になるのであつて、疫学的には右曲線のピークを中心にして潜伏期間を考えるのであるが、そのことは必ずしも右ピーク時以外の発症をありえないとするわけではないこと、また、右潜伏期はワクチンの種類によつても差異があり、同じくアデム発症の可能性が一般に承認されている種痘と狂犬病ワクチンとでも疫学的に見て潜伏期間に差異が認められていること、以上の事実を認めることができ、右の事実に照らせば前記②も個別的なケースでインフルエンザワクチン接種後四日目にアデムが発症する可能性を否定すべき根拠とは認め難い。

むしろ、右認定に供した各証拠を総合すれば、遅延型アレルギー反応の潜伏期を考える場合、免疫学的側面を重視しなければならず、抗原(ワクチン)に対する抗体産生の感受性が上昇しておれば、その後の同一抗原参加によつて発展する遅延型アレルギー反応は通常の潜伏期よりも短縮されうることを認めることができる。そして、<証拠>及び証人石田名香雄の証言によれば、原告は本件ワクチン接種以前既にインフルエンザワクチンの接種を昭和四二年(二回)、昭和四三年(二回)、昭和四六年(二回)の計六回受けており、この事実はそれによつて原告のリンパ球が感作され、インフルエンザワクチン中の抗原物質に対する抗体産生の感受性が先行的に上昇していたと考えるに十分であり、最後の接種から六年経過していることは何ら右のように考える妨げとはならないこと、その場合には本件のように接種後四日で発病しても不自然とはいい難いこと、を認めることができる。

以上の諸点に照らせば、証人木村三生夫、同松山春郎の前記証言はたやすく措置できず、他に前記(イ)の判断を妨げるべき証拠はない。

(3) 以上によれば、本件疾病は本件ワクチン接種との因果関係肯定のための第二要件を充足するものというべきである。

(三)  第三要件の充足について

(1) 被告は、原告が本件疾病の発病時ムンプスに感染しており、本件疾病はムンプスによる脳炎の可能性が十分考えられる旨主張する。そこで、前記第三要件の内容にかんがみて、本件疾病が本件ワクチン接種よりもムンプス感染によるものと考えるほうが合理性があるかどうかにつき、以下検討する。

まず、被告は、原告が本件症病発症時ムンプスに罹患していたとする根拠として、①ムンプスウイルス補体結合反応の上昇及び②心室性期外収縮の出現の二点をあげる。なるほど、<証拠>によれば、原告につき、昭和五二年一一月五日、同月七日、同月二〇日、同月二二日、同年一二月七日、昭和五三年六月一七日の六回にわたつて対血清におけるウイルス補体結合(CF)反応の検査が行われたところ、ムンプスウイルスのCF抗体価は、順次四倍未満、四倍未満、八倍、八倍、四倍、四倍未満と変動したことを認めることができる。そして、証人木村三生夫の証言中には、右の数値は昭和五二年一一月七日の四倍未満から同月二〇日の八倍へ二段階の上昇がみられることから、原告は当時ムンプスに感染していたものとみるべきである旨右①の主張にそう部分がある。しかしながら、証人石田名香雄の証言によれば、ムンプスに感染した場合には右CF抗体価は少なくとも一六倍から三二倍程度まで上昇するのが通常であり、しかも右価はその後も右上昇した数値を維持していなければならないのであつて、右のようにCF抗体価が四倍未満から八倍に上昇した程度では、ムンプス感染の有無の判断の基準となる二段階の上昇があつたとみるには上昇の程度が少なすぎ、この程度の上昇は手技のブレにすぎないとみる余地もあること、また右上昇した抗体価が右上昇の後短期間に下降してしまつたのはムンプス感染によるものとしては不自然であること、他方、ムンプスのCF抗体価の変動はムンプス感染の場合のみならず、パラインフルエンザの流行時にとも上がりすることもあること、以上の事実を認めることができる。

そして、<証拠>を総合すれば、ムンプスに感染した場合には特徴的な臨床症状として耳下腺の腫脹が見られるところ、原告にはこの症状は認められなかつたこと、原告については、前記対血清におけるムンプスウイルスの補体結合反応の上昇が見られたのと同じころこれと並行して髄液中のムンプスウイルス抗体価の検査も行われたが、右抗体価に有意の上昇は見られず、また、髄液その他からムンプスウイルスが分離されたこともなかつたこと、以上の事実を認めることができる一方、当時原告が感染を受けるようなムンプスの流行があつたことを認めるべき証拠はない。もつとも、前掲乙第五号証及び証人木村三生夫の証言によれば、ムンプスには耳下腺の腫脹等の臨床症状の見られない不顕性の感染も存在することが認められるけれども、証人石田名香雄の証言によれば、このような場合になおムンプスの感染があつたものと診断するためには、顕性の場合に比して一層血清学的反応が明らかでなければならないところ、前記の程度のCF抗体価の上昇では到底右の条件を満たすものとはいえないものと認めることができる。

以上の各点を考慮して原告がムンプスに感染したものとは認められないとした証人石田名香雄、同斎藤博の各証言に照らせば、原告が当時ムンプスに感染していたとみるべきである旨の証人木村三生夫の証言は措信できない。

次に、<証拠>によれば、原告は昭和五二年一一月六日から翌七日にかけて胸痛を伴う心室性期外収縮が発現したことを認めることができる。しかしながら、証人木村三生夫の証言によつてもムンプスに特異的な症状とはいえないことが明らかな右症状を除けば、臨床的にも血清学的にも原告がムンプスに感染していたものと診断すべき根拠を欠く本件において、右症状から直ちに原告がムンプスに感染していたものと認めることはできない。

以上のほか、原告が本件疾病の発現当時ムンプスに感染していたものと認めるに足りる証拠はない。そうとすれば、本件疾病はムンプスによる脳炎の可能性が考えられる旨の被告の主張はその前提を欠き失当というべきである。仮に被告主張(5因果関係の有無についての被告の主張(六)(2)(イ)ないし(ニ))のとおりムンプス感染によつて原告の呈したような神経症状が発現しうるとしても、以上判示したところに照らせば、本件疾病が本件ワクチン接種よりもムンプス感染によるものと考えるほうが合理性があるものとは到底認め難い。

(2) 右(1)のほか、原告の本件疾病が本件ワクチン接種よりも他の原因又は原因不明によるものと考えるほうが合理性があるものと認めるべき証拠はない。

(3) 以上によれば、本件疾病は本件ワクチン接種との因果関係を肯定すべき第三要件をも充足するものというべきである。

(四)  以上(一)ないし(三)によれば本件疾病は本件ワクチン接種との間に因果関係を肯定するに必要な三要件をすべて具備しており、かつ、右要件の具備にもかかわらず右因果関係を否定すべき特段の事情は認められないから、本件救済制度の適用上本件疾病は本件ワクチン接種によつて起こつたものと認めるのが相当である。

(本件処分の違法性)

四前項で判示したところによれば、本件疾病と本件ワクチン接種との間に因果関係は認められないとの公衆衛生審議会の結論に基づき本件疾病については法第一六条第一項の規定による因果関係の認定をすることができないとした厚生大臣の判断は誤りであつて、これに基づいてした被告の本件棄却処分は誤つた事実を前提としてなされた違法なものというべきであり、取消しを免れない。

(むすび)

五以上の次第であるから、原告の請求は理由があるので認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(櫻井敏雄 信濃孝一 古部山龍弥)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例